2011年01月25日

芦花ホームの人々


1月13日、『平穏死のすすめ』を著された石飛先生の

穏やかな看取りの舞台となった芦花ホームを訪ねました。



講演会でお会いした折に、沢山質問をした私に、先生が

「一度いらっしゃい。その目で見るのが一番だよ」と

言ってくださって、思い切って世田谷の芦花ホームに先生を

訪ねて行ったのです。


早く着きすぎた私は、芦花ホームのある世田谷の町を散策し

閑静な住宅街に不思議な空間をいくつも見つけました。

フェンスや立派な塀で囲まれた、何もない雑木林だけの場所です。

もとはお屋敷があったのかもしれませんが、今は建物はなく

お庭だったころの植物だけが自然の林のようになって生い茂っています。


広いお庭を持つ家が多く、中には「○○の花が咲いています」と

小さな看板を下げ、門を開け放している家もありました。

ご近所の方たちにお庭を開放しているのかもしれません。

野趣あふれる回廊式の庭園で、少し枯れた感じが自然な雰囲気を

醸し出しています。


そんな町の中に世田谷区立総合老人センター『芦花ホーム』は

ありました。

白い洋風建築の建物は、木がふんだんに使われているため

温かで、明るい印象です。

実際、明り取りの窓や天窓がたくさん設けられていて、光が

随所から入るため、冬のさなかでも太陽が届ける天然の

暖房でぽかぽかしています。


石飛先生は私が、お仕事の邪魔をしたにもかかわらず、

「遠いところからわざわざお越しいただいて」と

しきりに恐縮して、ご自分で案内してくださいました。


ここでは、夜勤の方も含め10人の看護師さんがおられます。

その日も見学をして回っている間、何人もの看護師さんと出会いました。

皆さん、介護職の方と同じような服装で首から聴診器を下げていなければ

看護師さんとわからないくらいです。

先生は看護師さんの報告を受けられたり、利用者さんとおしゃべりしたり

利用者数80名にショートの利用者もあるという大きな施設ながら

とてもアットホームな感じがします。

この居心地の良さはどこから来るのだろうと思いながら、見学をしていて

ようやく気づきました。


利用者さんも、そこで働くスタッフの皆さんも、とても表情が穏やかで

くつろいでいる感じがするのです。


これは、施設長や石飛先生はじめとする看護師さん、多くの方がいつも

皆さんを見守っているからかもしれないと思いました。


何もなくても、何かあってもずっと見守ってくれている。

それは、利用者さんだけではなく、介護をするスタッフの方のことも

見守り、支えています。


私の友人はグループホームで重度の利用者さんがいるのに一人で

夜勤をするのが不安で怖くて辛かったと仕事を辞めました。


芦花ホームでは介護職の人がすすんで看取りをしたいと言うそうです。

病院に送りたくない、自分たちで最期を看取ってあげたいと。

それを支えているのが、石飛先生や、看護師さんや、

利用者さんのご家族の理解でしょう。

人は死ぬ時も生まれる時も、一人きりです。

でも、少しずつ死に近づいていくとき、一人ぼっちでは辛い。

その最後の道のりを、一緒にそばにいて、

見守ってくれる人々がいることが、人の死を支えるのだと思います。


亡くなったら、物体になってしまう医療の現場ではなく、

ここ、芦花ホームの看取りでは生きている時からそばにいて、

死にゆく人に寄り添い、その後も『物体』ではなく、

「かつて、生きて笑って一緒に過ごした人」として

存在することが許されるのです。

老人ホームに入居したら「かわいそう」という人がいます。

でも、こんなに多くの人に支えられ、見守られて最期を迎える人が

不幸せでしょうか?

芦花ホームでは、利用者の多くの人が石飛先生の

「今日も元気だね」の一言に救われ、守られて生きています。

私は、芦花ホームのような利用者を見守る輪がある施設での

生活はむしろ幸せなのではないかと思います。


こんな老後があるのなら、そしてこんなに平穏な人生の終わり方が

あるのなら、人の最後は怖くないと思います。


先生に『100歳の美しい脳』の本をプレゼントして帰りました。

春には必ず友人を連れてまたお邪魔しますと約束をしました。

屋上から富士山がきれいに見えていました。


沢山の出会いの中で、多くのものを与えてくださる方がいます。

私も足元を見て、自分の信ずるところを一歩一歩歩いていきたい。


人は人の間でしか生きていけないのだと、しみじみ感じた1日でした。




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2011年01月10日

100歳の美しい脳に感謝


『100歳の美しい脳』

今年最初に読み始めている本のタイトルです。

図書館の書架に並んだ本の中で、背表紙の『美しい脳』という言葉が

目に飛び込んできて、思わず手に取りました。

いったい、美しい脳って何なんだろう?

100歳の脳が美しいってどういうことだろう?


それは、アメリカの高齢の修道女を対象にしたアルツハイマーの研究で

『ナン・スタディ』と呼ばれた研究の成果を報告した本でした。

けれど、これは科学の本というよりは、研究者である筆者の

デヴィッド・スノウドン氏と修道女との日々を綴った随筆のようでもあり

私は何度も心が熱くなるのを感じました。


私は特定の宗派ではありませんが、自分を仏教徒であると思っていますし

信仰に対する気持ちも少しは理解できると思っていましたが、

彼女たちの幸せな自己犠牲の精神の強さは理解を超えています。

人々の幸せのために、自分の欲望を捨てて、ひたすら神の教えに従い

自分を磨き、助けを求める人に奉仕する人生。


彼女たちが研究に協力することを承諾したときの言葉

死後の献脳を決める時の言葉が強く心を揺さぶります。


「私たちの修道会は、貧しい人、弱い人とともに活動するために

作られました。アルツハイマー病を患っている人ほど、弱い人が

いるでしょうか。」

「私たちは修道女になったとき、子どもをもたないというつらい

選択をしました。でも脳を提供することで、アルツハイマー病の

謎を解くお手伝いができれば、未来の世代に別の形で生命の

贈り物を残すことができるでしょう。」


それは人生のゴールにたどり着こうとしている人からの

次の世代への愛に満ちた言葉です。

聖職者だからではなく、彼女たちが高齢で引退した修道女であり

それでも何か世の中のためになることをしたいと望み

未来に何かを残したいと思っていることが

私の胸をいっぱいにしました。


歳をとっても役に立ちたいという気持ちに変わりはありません。

いいえ、むしろ歳をとって、もうすぐ寿命が尽きると思うからこそ

未来に残したいと思うものなのです。


筆者は科学者として『脳』と人生を研究しながらも

彼女たちの生きた軌跡をたどり、その心に触れ、理解し、愛を感じます。

研究材料である彼女たちの『脳』のことを、彼は『聖なる遺物』と

感じるようになります。


この本の奥深さは、その心の響きあうようすが丁寧に描かれていること。

単なる研究書としても興味ある内容ですが、

「歳をとってみじめになる前に死にたい」と思っている若い人も、

老後が気になり始めた私のような年代も

そして、自分の年齢を受け入れられないほど高齢の人も

ぜひ、読んでほしい。


歳をとることは決して恐ろしいことではないとわかるでしょう。

そして、どう歳をとるのかを決めるのは自分だということも。


新しい年の初めにこんな美しい本に出会えた幸せを

誰かに伝えずにはいられない…そんな気持ちです。








posted by 諾 at 19:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月09日

一年の計は…


新年のご挨拶…


昨年義父が亡くなったので、喪中の私は年賀状を誰にも出していません。

ですが、あえて、

明けましておめでとうございます。

と会う方には言っています。


義父がいつも年賀状を出していた方達には、すべて喪中はがきを年末に

送りました。

でも、私も夫も娘も出しませんでした。


元旦にはお雑煮を作り、簡単なおせちを用意して日本酒も準備、

テーブルにお位牌を置いて、お線香と盃を置いて・・

「おじいちゃん、おばあちゃん、明けましておめでとう」

家族そろって乾杯しました。

これで、もう遠慮せずに新年をお祝いすることにしました。



一年の計は元旦にありと言います。

さだ まさしさんが新聞に面白いことを書いていました。

『日本人の人生は1年ごとに更新される。

嫌なことや、過ちがあっても、年末に全部清算して、新年には新たに

一年を始めることができる。』


本当にそうですね。

昨年は私の『準備』の一年でした。

今年は『開始』の一年にします。


昨年末から、毎朝5時前に起きて自分の仕事をしています。

昼間は別の仕事をしているので、自分のことができるのは夜だけでした。

でも、今年からは朝の時間を使うことにして、年末からもう1月近く

早朝に仕事をしています。


今年は、自分の事業を始めます。

沢山の方の力をお借りしないといけないし、少しでもひるんだら

ストップしてしまいます。

だから、立ち止まらないし、振り返らずに、前だけ見て進みます。

どんなにゆっくりになっても進み続けると決めました。


ストレスとプレッシャーで、自律神経がおかしくなりそうです。

あんまり実は強くないので、身体が先にいつも悲鳴を上げますが、

今はそんなこと構っていられません。

さあて、こんな宣言をしたからには頑張らなくちゃ。


歳を取っても、世の中から追い出されたり取り残されたりせず

生きて、働いて、楽しめる社会を作りたいと思います。

それが、目標の事業を始めます。


さて、明日も夜明け前の事業計画を練ることになりそうです。




posted by 諾 at 12:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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