2011年02月23日

エキスパートよりオールマイティー

昨日の日経新聞に就職特集がありました。

新卒の就職活動も終わった?から、今年の就職の状況はどうか

ということらしく色々な分析がされていました。


実は私、これまで大学受験を失敗して就職に切り替えてから

歯科医院の助手を手始めに、外資系事務機器メーカーや

ソフトウエア開発会社、不動産会社・会計事務所など

10数社転職をしました。

職種自体も歯科診療助手、営業事務、コンピュータインストラクター

秘書、経理事務、専門学校講師、マナー講師、営業、管理職と

そのたびにカメレオンのように、変わっていきました。

資格の多さも仕事上のことです。

宅地建物取引主任者・介護事務管理士・診療報酬請求事務や

福祉住環境コーディネーター2級、変わったところでは

要約筆記奉仕員や手話奉仕員中級なんてのも持ってます。

昔のベーシックのプログラミングの技能検定なんて骨董品も。


ほとんどが仕事上の必要性にかられて取ったものや、次の

ステップアップのために取った資格です。


とりあえず『石の上にも三年』ということわざどおり

契約上の理由や健康上の理由をのぞけば3年間は勤めるというのが、

基本方針なのですが、子育て時期は子供の入院が多くて

半年と続けられないときもありました。


それでも、就職率は95%くらいじゃないでしょうか?

これだけ転職するのに、相手に断れらたのは3回だけです。

子供が1歳のときに2回、どちらも子育て中が原因。

もう1回は資格が必要だったというものです。


女性は年齢が高くなるほど、就職や転職が難しくなります。

看護師などの医療系の専門職や建築士や測量などの建築系の

専門職の人は同じ仕事を何十年も続けていて、

「偉いなぁ」と思いました。

同じ会社に勤続35年なんて人も尊敬します。


私のように仕事をしている間に興味のあることに出会うと

後先考えずに、仕事を変えてそちらに行ってしまうなんて

本能のままに行動してしまうと、何の専門家にもなれず

いわゆる『エキスパート』に対する憧れと劣等感が

「私なんて何もできない」と自分を苛みます。


ですが、初めて前職で人を使うと管理職という経験をして

『誰もがエキスパートを目指す必要はないんじゃないか』と

思い始めました。


確かにその道のエキスパートには、すばらしい能力と魅力が

ありますが、ベンチャービジネスの管理職として求めたのは

『オールマイティー』な人材です。


営業はもちろん、企画、実行、取材、撮影、起稿、編集、事務まで

一人で出来る人。

しかも自分の置かれた立場に応じて、使いっぱしりから

上司の代理まで状況判断を行って実行できる人材です。


「私は事務ですから、電話がかかってきて営業のことを聞かれても

答えられません」とか

「営業なので、事務的な書類は事務の人が作ってくれないと」など

「今までやったことがないので、それはできません」という

専門外を断る人は必要ありませんでした。

自分の経験を生かし、新しいことにも果敢に挑戦できる人こそ

必要でした。


『どんな仕事をしてきた人か』よりも

『どんな仕事のやり方をしてきた人か』の方が大切だからでしょう。

新しい仕事に挑戦し、自分で勉強し、そこで役立つことを最優先に

する仕事に対する姿勢が大切だと思います。


今、もし「私なんて何の専門家でもないし、歳食ってるし・・」とか

「がくせいだから何の経験もないし、資格ももってないし」と

転職や就職で行き詰ってる人がいたら、

考えを変えてみませんか?


「私は何の専門家でもないので、何かにこだわることなく、

新しいことに取り組むことができる。チャレンジのための知識と

経験なら持っている。私は何にでもなれるオールマイティだ」


専門の資格を持たない学生にも、「めざせオールマイティ」と

言いたい。

大企業の歯車はひとつのことしかしてはいけないのですが、

中小企業では一人で何役もこなさなければなりません。

広く、そこそこ深い知識が必要なのです。

怖がらずに、自分が専門外と思うこと、小さな企業で

何でも経験すれば良いのです。


最後に面接のコツを(キャリア支援の時の経験から)

元気であること。健康が第一です。

女性なら健康的に見えるお化粧をしましょう。

元気な声で(聞こえない小さな声はだめです)返事しましょう。

無理に笑顔で答えるよりも自然体で。

でも、最後ににっこり最高の笑顔で「ありがとうございました!」を。

企業は薄命の美人よりも、健康で毎日元気に出社する人が欲しいのです。


まだ就職決まっていない人に、エールを送りま〜す。

posted by 諾 at 14:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月12日

雪の降る音


昨日は一日中雪が降ったり、止んだり。

京都とは言っても、奈良と三重との県境に近く

山に囲まれた小さな谷のようなこの土地では

雪が積もる日もめずらしくはありません。


それでも、夫の故郷の長野で降る雪とは比べ物にならず

一晩で1mを超える積雪になる信州の雪を懐かしく

思い出しました。


雪が降る日は、静かです。

音もなく雪が舞い降りてきて、ふわふわと積もりながら

周囲の音も吸い込んでしまうように静かになります。

雨の日が雨音で満たされるのと対照的に、

雪の日はとても静かなのです。

積もった雪が重さに耐え切れず屋根を滑り落ちる

「ドサリ」という音が、たまに響く他は

音をなくし、雪を含んで重くなった空気が一緒に溜まっていく。


ところが、これが本当に山の中など周りの音が元々ないところだと

少し状況が違ってきます。


初めて雪が降る音を聞いたのは、二十歳くらいの頃。

スキー仲間20人程とみんなで何棟かの貸し別荘を借りて

自炊しながらスキーをしたことがあります。

一番大きな山荘で夕食を皆でとった後、翌日の朝食の材料を取りに

別の山荘まで行かなければならなくなり、

一人で歩いて向かいました。


真っ暗な山の別荘地も、街灯がいくつもあり、

白い雪が灯りを反射して道は明るいので怖くありません。

朝食の材料を手に提げて、ゆっくりと戻りながら聞こえるのは

自分が雪を踏んで歩く音だけ。


街灯の光の中を、さらさらの粉雪が落ちてきて、

上を向くと私自身を中心に雪が包み込もうとしているように見えます。

思わず、その輝く雪に見とれて立ち止まった時です。

それまで聞こえなかった『音』のようなものを感じました。

『音』と、はっきり言えないのは、耳で聞いたというよりは

頭の中に直接聞こえてきたような気がしたからです。

まさに「しんしん」という音でした。


胸の中に落ちていくような、静かな音で・・

灯りの周囲を包む暗闇に広がり、溶けて消えゆくような

不思議な音に聞き入り

どのくらい立ち尽くし空を眺めていたでしょうか?


心配した仲間が、迎えに来て、また一緒に音を聞いて

結局寒さで我に返るまで、雪の中で過ごしたのでした。


ナイターがあるスキー場の夜では聞くことはできません。

結局雪の降る音を聞いたのは、あれが最初で最後です。


でも、その話をすると夫は「知っている」と言います。

雪国の人ならみんな聞いたことがあるのかもしれません。


たった一度聞いただけの『雪の降る音』

でも、こんな風に雪が降ると思わず耳を澄ませてしまいます。

ずっとそうしていると、

記憶の中の、あの音が聞こえるような気がするからです。





posted by 諾 at 08:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月06日

ときめきの出逢い


この1週間かなり無理をしたせいか、体調を崩してしまい

近くの医院へ行きました。

そこのトイレで、杖をついたお年寄りを少し手助けしました。

本当にほんの少し手を貸して、回転式のドアを閉めただけです。


その後待合室で隣に座ったおばあちゃんは、私に話しかけてきました。

「さっきはありがとう。足が悪いよって歩くのがエライんやわ。

もう82にもなったらあかんなぁ」

杖を支えに、背を丸めて座っていますが、優しい話ぶりで、

声も小さくてもちゃんと聞こえています。


「40の時から独りでやってきたから、一人暮らしも40年以上になるわ。

ほんまに、お父さんが亡くなった時にはどないしよ思たわ・・」

「そうなんですか・・」

私はとっさに慰めの言葉も言えず、ただ長い一人暮らしを

思いやることしかできません。

「足も骨折してから、歩くのが不自由でな…もうあかんわ。」

「そんな事ありませんよ。しっかりしてはりますわ」

話を聞くだけで、まともな返事ができません。

情けないと思いながら、社交辞令で何か言うことなど

できないような、しんみりとしたものがあったのです。

でも、決して暗い話し方ではなく、むしろニコニコして

話してくれているからこそ、胸にぐっと迫るものがありました。


私も笑顔を返すくらいしか出来ませんでしたが、

話をしているのは楽しい(嬉しい)と感じていました。


診察の前と後と合わせても10分程度の、短い時間でしたが

貴重な時間でした。


あの人は、寂しいから私に話しかけたのではないと思います。

きっと、私がとても心地良かったように、あのおばあちゃんも

私と話したいと思う何かがあったのだと思います。


それは、ひと時の『一目惚れの恋』のようなもの。

旅先や仕事で出かけた先で、偶然出会う人にも

好ましい出会いや、不愉快な出会いがありませんか?

隣の席に座った、駅のホームで並んで待っただけなのに

言葉も交わさないのに、視線が交差するだけでも

好き嫌いがはっきりするときがあります。

それは、まるで化学反応のようです。

近づけただけでガスが発生したり、色が変わったりする。


人間は、恋におちるだけではなく、常に相手との関係を探って

判断を繰り返しているように思います。

きっと言語の発達していない原始の時代には、他の動物や

他の人間が敵か味方か一瞬で見分けなくてはならなかったのでしょう。


おばあちゃんとの出会いで、久しぶりで胸がときめきました。

また、会うことができたらいいな、また話がしたい。


赤ちゃん、小さな子供、人生経験豊かで滋味あふれるお年寄り

との会話は、恋する気持ちのように胸がきゅんとします。


人はいつでも、誰にでも恋をすることが出来るということでしょうか。

家に帰ってから、誰かに話したくてたまらず、娘に話すと

「私も会いたかったな。家に来てもらったらよかったのに・・」


あ、私の恋が伝染した。




posted by 諾 at 07:47| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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