2011年11月07日

看取りについて鳥海さんの講演

 
今日は、仲良くして頂いている吹田市の特別養護老人ホーム
あす〜る吹田の創立5周年記念行事で
鳥海房江さんの記念講演会に行ってきました。

あす〜る吹田は、まだ創立からまだ5年という新しい施設ですが
堀田施設長はじめ、若いリーダーたちが先頭に立って
介護の質を向上させようと頑張っている施設です。
堀田施設長.jpg

福辺節子さんの定期的な介護技術の研修も受けていて
介護に対する意識の変化や技術的な向上だけでなく
目指す介護の姿が明確になったそうです。

今では施設を退所されるご利用者の80%は
そこで看取りをされたとのことで、これは全国的にも
高い水準ですばらしい業績だと思います。

鳥海さんもこのことをとても評価されていました。

記念講演の内容をご紹介すると

「生活の場だからこそできる穏やかな最後の迎え方」

病院で死にたくない。ぴんぴんコロリと逝きたいという人が多いが
脳血管が破裂するとか、大きな動脈瘤の破裂でもない限り
人は老いて他人の世話になって逝くのが自然な姿なのです。

今は家で生まれ、家で看取ることが少なくなって、死が見えない。
医療に対する幻想を持つ人も多く、万全の医療を尽くしさえすれば
どんな病気も治ると思われがちです。
でも、老人が亡くなるのは病気ではなく、医師が病気の部分を取り除いても
治癒する力、抵抗力や免疫力がなくなって死ぬのです。
だから、口から食べられなくなって、排せつも、入浴も自分でできなくなる
それが、老化によるものなら医療によって止めることはできません。

病院で医療を点滴やチューブでの栄養を受けても、水膨れになるか
逆流して窒息するか…医療は万能ではないということです。

そして日本では文化として、湯船に入る入浴、呑み込みが悪くなっても
食事を最後まで食べさせてあげる高い介護の文化を持っています。
そのため、誤嚥による窒息などのリスクも高くなるので、ご家族は
ケアについての方針とリスクを共有していただきたい。

最後までしっかりと看取りをすることは、その人が生き切るための
お手伝いなのです。
ご家族も、最後の時をどのように迎えるか、病院に入れて管だらけの死か
生活の場で自分らしく逝くかを、一緒に考えてみていただきたい。

そして、ご家族のご遺体を最後に一緒に見て、介護の質を見てください。
ご遺体は介護の通知表です。痩せていても、きれいな体で
あることは介護の質の高さを表しているからです。
それを確かめられるのはご家族しかありませんから。

鳥海房江先生.jpg


あじさい荘で実際に看取られたご利用者の穏やかな、そしてユニークな
看取りの実例も交えて、温かな人柄そのままに
楽しくお話しされました。

獲物が取れなくなったら、野生の動物はそのままそれが最後です。
世界で唯一人間だけが、食べられなくなった人を介護して
生きながらえさせることができるのだと言われました。

幸せな死などあるはずはないと思いますが、もし自分の体力の限り
長生きして、最後は家族や友人が代わる代わる見てくれて、
苦しまずに逝けるなら、やはり幸せなのかもしれないと思いました。

長生きすると、楽に逝ける。長生きのご褒美だ。
すごい言葉だと思いました。生と死のはざまで仕事をする人だからこそ
言える言葉だと感動しました。





posted by 諾 at 00:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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