2012年04月30日

開業ナース、患者を自宅へ5日間連載!やるな日経!!


4月16日から20日までの5日間、日本経済新聞の夕刊に
村松静子さんの記事が掲載されました。

人間発見という社会面のコラム。
「開業ナース、患者を自宅へ」というタイトルで、
村松先生の看護師としての人生のダイジェスト版。
まるで大河ドラマ総集編みたいに、山あり谷ありの人生が
あっという間に読める記事にまとめてありました!!

この記事で何が嬉しかったかというと、
何より村松先生のことが、日本経済新聞という
介護や入院なんてネガティブなことと思っているだろう
“やり手ビジネスマン”が読む新聞に掲載されたこと。

在宅看護研究センターLLP代表としての成功、
開業ナースという新たなソーシャルビジネスを起業した
偉大な先駆者として掲載されていることも嬉しい!

しかも内容には村松先生の人間としての強さと優しさが描かれています。
正義感がありながら、相手を思いやる心の広さや
自分自身を公正に見ることのできる冷静さと
どこまでも温かい他人へのまなざしも読み取れます。

これを読めなかった人は「心と絆といのち」を読んでください。
いや、読んだ人もぜひ。

しかも、今回の記事には村松先生の新米ナース時代の初々しい姿や
優秀な看護師長時代の頼もしい姿も写真が掲載されています。

実は私はマスコミに対して、良い感情を抱いていません。
片方だけの取材や、世論に対してウケをねらったような記事や
人々を煽るような記事のために、多くの誤解が生まれるからです。

でも、こういう風に人々に知ってもらいたいことはたくさんあります。
色んな人が介護や看護、医療って、家族って、どうあってほしいのか?
考える機会になってもらえればと思います。

最後に、日経を購読していないと読めないと思いますので
記事の切り抜きを。


日本経済新聞4月16日夕刊 人間発見「開業ナース、患者を自宅へ」@
人間発見日経4月16日夕刊.jpeg


日本経済新聞4月17日夕刊 人間発見「開業ナース、患者を自宅へ」A
人間発見日経4月17日夕刊.jpeg


日本経済新聞4月18日夕刊 人間発見「開業ナース、患者を自宅へ」B
日経4月18日夕刊.jpeg


日本経済新聞4月19日夕刊 人間発見「開業ナース、患者を自宅へ」C
日経4月19日夕刊.jpeg


日本経済新聞4月20日夕刊 人間発見「開業ナース、患者を自宅へ」D
日経4月20日夕刊.jpeg


posted by 諾 at 17:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月08日

「ここさこらんしょ」の1年を振り返る。私と震災。


先週、福島で「“ここさこらんしょ”の1年の振り返り」に参加してから
もう1週間が経ちました。

「こらんしょ」で2日間お世話になった中で、震災後の1年間についても
振り返ってみました。

「ここさこらんしょ」は、震災で避難生活を余儀なくされている方が、
いつでも第二の我が家のように訪れ、心と身体を癒すことができるようにと
在宅看護研究センターLLPの村松静子さんが昨年震災の直後から動きだし、
賛同した多くの看護師さんたちの熱意で実現した「つどい場」です。

ここには双葉町から避難されている石田さんご夫妻が
在宅介護を続けながら、仮設に暮らす人を迎えてお喋りをしたり、
電話での相談を受けたりされています。

石田のお母さん(ここを支援する人たちはそう呼んでいます)は
人をもてなすのが好きで、人とのお付き合いがとても上手です。
お母さんがここにいるだけで、色んな人が集まってきます。

ご近所の方々、仮設にくらす同じ双葉の方、何かできることはないかと
他県からやってくる人たち。

明るい笑顔で初対面の人も迎えてくれて、得意の手料理でもてなし、
心を開かせる名人です。
たった1泊しただけの私もすっかりお母さんのファンになりました。

でも、お客様が一人減り、2人減り最後に私だけが残ってお話する中で
お母さんの複雑な想いも見えてきました。

見ず知らずの縁もゆかりもない人が支援してくれることへの感謝と
人の思いやりに対して嬉しいと思う気持ちと、誰かの世話にならなければ
生きていけないことへの悲しさ。悔しさ。

石田さんは本当は人のお世話をすることが大好きで、
人のために何かをするのが大好きな人です。

その自分が他人の世話になって生きることの辛さ。
自宅に帰りたい、居なくなった猫はほかにも2匹。
あの子たちはどうしただろう?
自宅の片づけを、自分たちの町を自分たちの手でやりたい。

でも、原発の警戒区域である双葉町には役場すら帰ってこれない。
一時帰宅も追われるように短い時間で、必要なものを探すだけで精いっぱい。
誰に怒りをぶつければいいのか、政治家?東電?

どんなに怒っても、元には戻らないことへのやるせなさ。
誰かを責める気持ちより、元に戻してほしいと願う気持ちの強さを感じます。

仮設から来られていたKさんも「仮設にはいたくないんだ」と言います。
あそこには「暮らし」がないから、皆やることがなくて嫌な話ばかりする。
狭い一間と台所だけの生活で、寝るだけで精一杯。
掃除する場所も、誰かとお茶飲むところもないから、ほかの人の家に行ったこともない。
私は仕事をしているから、仕事場と往き帰りに立ち寄れるここ(こらんしょ)
でくつろげるけど。
そんな話をしてくれました。

私はまともに返事ができませんでした。
気持ちがわかるから、安易な気休めは言えませんし
同調して「わかる、わかる」とも言えません。

「帰りたいですね。でも、帰っても元の暮らしには戻れないんですね」と
わかりきったことを独り言のようにつぶやくのが精いっぱい。

そんな私に、どの人も自分から気分を切り替えて
「それでも、ここがあってよかった。遠くからみーんな来てくれて…
優しくしてもらって、私たちは幸せだわ」と言って
大きな声で楽しそうに笑ってくれます。
いいえ、優しいのは、みなさんです。

私なんて何のちからも、役に立つこともできない。
なぜ、看護師とか医者とか、せめて介護業界に10年もいたなら
介護の技術くらい身に着けておかなかったかと後悔します。

でも、私は介護を仕事にはしたくなかった。
なぜなら、介護する人の力になりたかったから。
介護を仕事に選んだ人たちを尊敬していて、大好きだったから
自分がするのは、この人たちのためになることをすることだと
決めていたからです。

それでも、今回はつらかった。
震災の直後、医療や介護やいろんな専門家が支援に動くのを見て
何もできない自分を変えたいと思いました。
こんな想いの人が日本中にいたはず。

今、1年が過ぎて何が変わったか?
今回の福島は自分の1年を振り返る旅でもありました。

「決めたことは人を当てにせず自分でやらなきゃいけないのよ」
石田のお母さんの言葉です。
私も同じように自分で切り開いていこうと思います。
どうにもならないことがあっても、あきらめず自分を信じて
やれることをやるしかないのです。

石田さん、お世話になりました。本当にありがとうございました。
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セカンドハウスよりどころ「ここさこらんしょ」では、ボランティアで
石田さんはじめ、福島市内の仮設住宅で避難生活をされている方の
支援をする看護師さんを募集しています。
興味のある方はこちらのページで詳細をご覧ください。
http://www.nursejapan.com/



posted by 諾 at 13:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月31日

「ここさこらんしょ」の一年


去年10月に福島市で行われた「市民講座〜本音で語る広場〜」の後で
セカンドハウス「ここさこらんしょ」を訪れてから、約半年。

1年を振り返る集いが今日3月31日に福島市の「ここさこらんしょ」で
開かれました。

「ここさこらんしょ」には、双葉町から避難している石田さんご夫妻が
10月から住んでおられますが、この3月からかわいい家族が増えました。

双葉町の自宅に取り残されていた飼い猫の「ふじちゃん」が救助され
ようやくこの家に帰ってくることができたのです。

ふじちゃん.JPG
ハスキーボイスのふじちゃん♂


可哀想に、泣き続けたせいか声がつぶれてしまっています。
でも、ようやく寛げる我が家と懐かしい家族のもとに戻りました。

とても人懐っこくて「ふじちゃん、良かったねぇ」となでると、
喉をならしてすり寄ってきます。

石田のお父さんもふじちゃんが行くと、表情がゆるみ、
時々声をかけることもあって、家族の一員として
喜んで迎えていることがわかります。

本当に無事戻ってきて良かった。


今日集まった人は、石田さんご一家を含めて26人。

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挨拶をされる石田さんのご長男政幸さん


お父さんの病院関係者、ケアマネジャー、大学の先生や大学院の学生
これまでボランティアナースとして来られたみなさん。

そして地元で、ここの立ち上げに尽力されたTさん、
東京の在宅看護研究センターの村松代表とナースの皆さんが駆けつけ、
私のように村松先生に引き寄せられるようにやってきた
四国の高校の先生と息子さんとご近所の方々。

「ここさこらんしょ(ここにいらっしゃい)」の言葉どおり、
この場所に集い、再会と出会いの喜びが家じゅうにあふれています。

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昔ながらの親類縁者の集まりのよう



石田さんがここにご入居される前日、女5人でわくわくしながら
最後の準備をした日には、今日のこんなにぎやかな光景を
想像することはできませんでした。

明るい光が差し込む部屋いっぱいに人が座り、
テーブルには石田のお母さんの心づくしの手料理が並び、
そこここで挨拶が交わされて笑い声があがっています。

DSCF2151.JPG
石田のお母さんの料理は最高!


「明日からここで在宅での介護が始まる」
緊張感にふさわしい秋の日の朝から、この陽光あふれる春の日までに
どんなドラマがあったのでしょう。

私は村松先生が起こした奇跡を目の前に、胸いっぱいになって
皆さんの笑顔に酔ったようになっていました。

ご近所の皆さんが「福島の県民としてお礼を言いたい」とご挨拶をされて
何もできない私は、それだけで申し訳ないような気になり、
せめてこのことを伝えようと心に決めたのでした。

福島県民を代表して挨拶.jpg
県民を代表?!してご挨拶♪


村松先生は、ここをもう1年継続するためにいくつもの申請を行い
2年目を継続できることが決まって表情も晴れやかです。

いつもながらの人をとろかすような笑顔で周囲には常に人の輪ができています。

石田のお母さんはお父さんの世話をすっかりナースさんたちに任せて、
皆さんの接待に大忙しです。

半年前の市民講座でお目にかかった時よりすっかり明るくなって、
最初玄関で迎えていただいた時には別人かと見間違うほどに
活き活きしています。

この石田さんのお母さんとお父さん、そして長男の政幸さんのお話は
後でゆっくりとすることにしましょう。


石田のお父さんは、ここへ来たときには体調も悪く、嚥下の力も落ちていたので
結局胃ろうによる栄養補給をすることになりました。

でも、その後この家で暮らすようになってからは、徐々に体力も戻ってきて、
今日はミキサーにかけた食事を車いすに座って自分でしっかり食べています。

隣に座っていた看護師長さんが
「やっぱり在宅の力はすごいわねぇ。半年前は自分で食べるなんて考えられなかった。
本当にお元気になられたわ…」と感慨深げにお父さんを見つめています。

ここは石田さんにとって自宅ではありません。
でも、ご近所の顔なじみができ、気心の通じた看護師さんのお世話があり、
自宅のような自由な暮らしがあることで「在宅介護」の良さが引き出せるのでしょう。

師長さんの複雑な表情から、病院での看護の限界と闘う人の苦悩と
患者への思いやりが見て取れました。

こういう看護師さんたちがいるから日本は大丈夫なんだと、
またひとつ大切なものが増えたような気がしました。

話は尽きることなく、台所、お父さんの居室、居間といろんなところで
数人が集まって話をしているところは親類の集まるお祝いの席のようでした。


夕刻、伝えきれないほどの想いを抱えてそれぞれが帰っていきます。
今日残るのは、四国のKさん親子とナースのHさん、私の4人です。


この日に「ここさこらんしょ」に来た私ってえらい。
だって、こんな素晴らしい時を過ごすことができたのだから。


村松先生にまた会うことができたし、お話もできた。
懐かしいナースさんたちにも再会できて、本当に良かった。

きっと、今日ここに集った人たちがみんなそう思っていると信じます。
再会を約束して、元来たところへ戻っていく人々。

でもここにもうひとつ帰る場所が増えたのです。
セカンドハウス「ここさこらんしょ」は心のよりどころ、もう一つの我が家だから。

また、きっとここで会いましょう。

DSCF2156.JPG
村松先生と石田さん親子を囲んで記念撮影






posted by 諾 at 19:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする